贈り物には送り手のカラーが反映される!

贈り物をする時は、喜んでいただけるものを選びますが、そこには自分カラーがすごく反映されると思います。

ある時、親しい友人が、わたしの引っ越しのお祝いに花束を持ってきてくれました。

「この花束は○○さんのイメージに合わせたの、」というのですが、どうみてもわたしではなく、その友人のカラーだと思ったことがありました。

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私と友人は似ていません、どうして仲がいいの?と思われるくらい似ていないのです。そのお花は黄色や白が中心で葉の色はモスグリーンでした。

わたしはたいてい白い花かピンクの花をイメージされることがほとんどで葉は濃い緑になると思うのですが。

 

”人は他人の姿に自分を見る”と言われます。つまり、自分の持っていないものは他人にあっても見えない、ということでしょうか?

 

自分が悪いことができない人だと人が悪いことをすることが信じられないですよね?これも何度も経験することで、あの人ならするかも?と、だんだん客観的にもなってくることは多くなりますが。

自分も大人になるにつれ見えることが多く広くなるのですね?

 

本人が選んだものの中からどれがいちばん似合う?と聞いたらいちばんを見抜けるのに、はじめから選ぶ場合は難しいのですね?

ショップの販売員さんも、お客さんに似合うのもが選べる人もいますが、多くは自分の好きなテーストの中の範囲内でしか選べないことは多いです。

極端な場合、販売員さんが赤が好きだとたいていの人が赤が似合うように見えてしまうのです。

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わたしも”人と自分は違う、”と思いながらも食べ物を贈る時は無添加を選びがちです。結局自分の考え方を反映しています。その中から相手にも合うものを選ぶのです。

わたしがあなたに贈るのですから、わたしらしさとあなたらしさが入っているのがよいとも思えます。だれからも私の好きな同じ白薔薇ばかり贈られても?ですよね?

 

女優の神津はづきさんが「わたしは喜ばれるプレゼントを選ぶのがじょうずなの、ダサい人にはダサいものを選ぶから。」とおっしゃっていましたが、そんなことできるかな?とわたしは思いました。

ま、その人の好みをよく知っているということでしょうね?

 

とにかく、自分好みを押しつけるものは選びたくないものですね?

手土産にもプレゼントにもその人らしさは表れるので適当なものなら送らない、贈る時は心をこめて選びたいと思います。

今、書きながら気持ちが決まってきました。

贈り物はわたしらしい選択であなたにぴったり!するものがいい、と。

わたしがいちばんうれしかった贈り物

ずっと若いころ、いつか大好きな絵に出会ってその作家さんも現役で、わたしが買うことのできる絵に出会ったらいいな、という夢をもっていました。

アンリルソーやキスリング、ゴッホなども好きですが買えるような絵ではありませんからね、古典の場合は。

 

でもこの人たちも優れた絵を描いていても無名で売れない時期はあったのです。

それなら、今そういう立場の絵って存在しているはず?だから。いつか古典になって買えない額になるかも知れませんが、今なら買えるし応援もできるでしよう?

 

この実現は難しそうな夢は叶いました。

新聞の片隅に見た人の感想があって、行ってみたいけどその個展の最終日しか行けなくて、その最終日の次の日もそこにいくのでちょっと迷いましたが行ってよかったです。

今でも一番好きな作家さんです。

 

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それから数年経ち、その作家さんから送られた絵がとても素敵な絵でした。今も飾って毎日見ています。凛とした観音さまのような雰囲気の人物の絵でした。この絵がいちばんうれしかった贈り物です。

 

今は身内や友人にわたしが見つけた無添加のおいしいものを贈るのが好きです。親せきは送られても気を使わないので気軽に送れます。

おいしいお惣菜やおやつのようなごはんのようなものを贈るのも好きです。食事の用意は毎日のことなのでそういうのがあると便利かな?と思って。

野沢菜のおやきとか、おいしいいなりずしとか、無添加でおいしい調味料も送ります。お味噌やお醤油なども。

 

自分の住んでいる近くのおいしいものを贈るのも好きです。そこに住んでいないと見つけられないから。自分のために探し、おいしかったら大切な人にも送るのです。

ひとりでおいしいと思うよりも、「これおいしいから食べて見て!」という感じですね。

食べ物は必ず聞いてから送ります。好き嫌いもあるし、不在日もありますから。

何を贈ろうか?考えるのは旅行計画を立てる楽しさに似ていると思いませんか?

いちばん素敵な贈り物は、心にしみる言葉だと思う…

素敵な贈り物ってたくさんあると思うのですが、もっともうれしいものの一つに言葉があると思います。

それは直接かけられる言葉の場合もあるし、手紙の場合も、電話の場合も、メールの場合もあるでしょう。

ときどき手紙ってどうしてみんなすごく喜ぶのだろう?と、わかってもいるけれどもっとはっきり知りたくで考えて見ることがあります。

 

かなり昔の話ですが、弟が小学一年生の時、病気で入院して休学されていた先生から生徒全員にひとりづづ短文の手紙を書かれたようでした。

弟はそれをしょっちゅう、ポケットから取り出してはうれしそうに読んでいました。わたしが、「うれしいん?」と聞くと、照れて「なんの…」と笑っていましたが、

 

幼くても愛って伝わるものなんですね?

 

この先生はわたしも1年、2年と受け持っていただいて、芍薬を贈ったことがある先生です。

 

子供って抱きしめるとか、遊んであげるとか、でなくても愛って伝わるんですね?

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わたしは無のような成長のおそい子供でしたが、一年生の卒業式で、新卒で勤められたというその学校から転勤が決まり、卒業式のごあいさつで、泣きっぱなしだった先生のことを今でも時々思いだします。

わたし自身は教わったことはなくお名前しか知らなかったのですが、「大学を卒業して初めての学校で…」ここしか覚えていないのですが、泣きっぱなしであいさつされていたのです。あんなに泣いた先生のごあいさつはその後も見たことありませんでした。

 

黒っぽい背広だったのとお顔の雰囲気はいまでも覚えています。

そう考えると、子供の接しかたって大切ですね?

 

ともすれば自分のことでせいいっぱいで、周囲への配慮を忘れがちになりますが、こんな一コマの経験を思いだすたびに、反省するのです。

喜ばれる贈り物って案外むずかしいですね?なんでもある時代だからこそ、

人からいただくものは、子供時代は中身もうれしいですが、お菓子の缶とかきれいな千代紙とか布きれ、箱などが特に好きでした。この傾向って生まれもった資質のような気がします。

その後、結局そういうお仕事につきましたから。

友達からは、お花、お菓子、手作り人形、置物、いろいろいただきましたが、30代になると小さな置物以外は、残るものは困るようになってきました。

好みが少しズレるし、必要数以外は使うことがないのですね。このころからわたしも人に上げるものは消えものか、聞いてからあげることにしました。

 

そうすると、お花やお菓子はなかな重宝します。こだわりのモノを探すと喜ばれますし。お花って女性はたいてい喜びます。

親戚にはお金の方が多いですね。卒業する時に、調べておいて、鞄をいっしょに買いに行ってプレゼントしたこともあります。

ピンポイントではまっていれば、品物の方が喜ばれると思いますが、ズレるなら親戚はお金にしています。

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時間があれば、友達は食事に招待したりされたりもいいですね?楽しい時間を一緒に過ごすことができますから。

親が元気な時は旅行に誘いました。田舎の人はあまり気軽に旅行をしませんし、ひとりでは計画して行けない人も多いです。これは意外でしたが考えて見れば環境からすればそうかも知れませんね?

家を直したり子供や孫へは気軽にお金を使いますが、自分だけが楽しむことってあまり考えてこなかったのでしょう。

 

買い物をするのもたいてい決まっていてお店の人のアドバイスと自分の好みで買いますが、好みを探してウインドウショッピングはしませんから買い方も正統派のみです。

今の時代はさまざまなテーストのものがたくさんありますから、そこから選んで贈ることもあるのですが、必ずしも当たるとはかぎらないのです。

食べ物の場合は、知ってもいるのでだいたい当たります。

 

ですが、親が高齢になって身近に接するようになってだんだんわかってきました。ほんとうに喜ばれるものが。

お財布はまず、外れます。お財布を贈る時は探しておいていっしょに買いにいかないとダメだとつくづく思いました。

私が選んだのも、20代の孫が選んだのも大外れでした。高価かどうかも全く関係ないのです。

近所の高齢者の生活も目の当たりに見るようになって、喜ばれるモノってみえてきましたね。高齢者はお菓子もあまり好きじゃない人は多いことも知りました。

 

これからはほんとうに喜ばれる贈り物をしたいと思います。

生まれて最初のわたしの贈り物は、芍薬の花を先生に。

人は生きていて最初の受ける贈り物は名前だと思います。

その後、さまざまな贈り物を受けながらやがて自分も贈るようになります。

たぶん最初はお母さんへの贈り物でしょうか?

 

わたしの子供時代はそれほど贈り物が生活に浸透していなかった時代でした。だから贈り物よりも手土産が多い時代だったと思います。また近所の人からのおすそわけなど。

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記憶ではわたしが初めてした贈りものは小学一年生になってしばらくしてから、母から芍薬を先生に上げなさいと持たされたことだと思います。裏庭の井戸端の花壇に毎年咲く、ピンクと白の芍薬でした。

先生は大げさに喜んでくださいました。

 

わたしは他の生徒と違い一つ山を越えて通学していました。それで学校に行く途中でとった薄紫の清楚なつつじを持って行って先生に上げたらとても喜ばれたので、また次の日も先生に上げる、といって姉を困らせていました。

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”毎日お花を上げると先生も困るんよ、”と。

 

子供も人に喜ばれるのは好きなんですね?

このつつじは今でも大好きです。早春に咲き、オレンジがかったつつじはそのあと5月頃に咲きます。

わしが上げた贈り物と言えばこれが最初だと思います。